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山と渓谷/山に入る心



・田部重治著・近藤信之・編 
・新編「山と渓谷」岩波文庫1993発行 p.9
[花・百名山] [八ヶ岳&山]

  山に入る心
  山を歩く時、特に無人の境に漂泊する時、思いがけないほどの自然の美わしい姿態が、世にならびない景色とたたえられ来ったものよりも、遥かに美わしい粧おいを以て、幽隠のつつましい渓谷から、あるいは幽林の奥ゆかしい彼方から、見る人の心の落着くいとまもあらせぬように、あらわれて来るのに接して、私はいいしらぬ喜びを感ずると共に、顧みて、共に喜びを分けることの出来る友を毎もそういう時に欲する。そして、そういう友のないことを私はむしろ一つの苦痛として感ずることが多い。十八世紀末から十九世紀の初めにかけての英国の批評家ウィリアム・ハツリットは、旅をする心を論じて旅は一人でやらなければならない、そうして初めて思う存分、気ままに瞑想をすることも、のびのびと歩くことも出来、また、面白くないことに共鳴を強いらるる必要もなく、他人に同情を求めて得られない不愉快さを感ずる必要もないといっている。私はハツリットの抱いている心持の真なることを彼以上に感じている。
  しかし、私は特に無人の境に漂泊する時、そしてこの無人の境から多少思いがけないものが期待されている時、また、この期待されているものが、思いがけもせぬ方面から俄かに私の眼前に展開される時に、友なき苦痛はすべての楽しみをかきけすほどのものであることを痛切に感じている。
 毎も私はかくの如き光景に接することの出来る旅を、初めから予定してかかるが故に、また、無人の境を漂泊することが、かかる光景に接せしめることが多い故に、私は初めから友を欲する。そして私は自然に対して憧憬の感情ゆたかな、感激性に乏しくない友を道連とする。ハツリットは友が喜ぶものに自分が喜びを感ずることが出来ないが故に、また、自分が喜ぶものに、友がたのしみを感じてくれないが故に、一人旅を選ぶといっているが、私はかくの如き不都合を旅において見出した事は余りない。その故は私は初めから自分の喜ぶものに楽しみを感じてくれるような友を道連としているからである。そしてよし凡ての点において友の抱いている心持が、私と一致しないにしても、ただ一つの大きな喜びの一致が、他の小さな不一致の不満をかきけして、深い満足の感情をもたらしてくれることを感じている。
 私は場合によれば、二たび三たび繰り返した同じ旅にも、友をさそうことがある。そしてこの幾度となく味い来った光景を、更により一層ふかく味わんことを欲すると共に、私の新しき友にも感激の叫びを見出さんことを期待する。されば、初めから私の新たなる道連が、どの位これから接しようとする光景に村して喜びの叫びを共にしてくれるであろうか、また、私がこれまで、度々、接して来たあの光景が、どの位、その神々しい姿を新たにし、どの位のよろこびを以て、私たちを迎えてくれるであろうか、という考えが絶えず私の頭のなかを往来する。
  この刹那の深いよろこびを味わんと決してから、その刹那に至るまでの時間は、すべてこの瞬間のために存在する。私は両人してこのよろこびを分けんがために、或る程度の犠牲を払うことに何らの不都合を感じたこともない。私はこの刹那の共鳴が、今までただ習慣的であった友情を更新して、一層深いものにするものであることをつくづく感じている。
 私は友と共にかくの如さ光景を味わったことがかなり多くある。私は、しばしば、信州島々谷の渓谷を溯ぽって徳本峠に攀じ、峠の上から穂高の秀峰が、ほんのただ今大地の底から湧いたかのように清浄な白雪を頂きながら、新しく立っている壮厳なる光景に接した。私はこの秀麗な山容によって、今まで、私の考えて来たことの如何に価値少なくて、私のして来た行為の如何に卑しいものであったかを感ぜしめられた時、この秀麗なる姿は、人生の美わしい気高い姿の象徴として、私の憧憬の対象となり、私の感情の内に深く織り込まれるようになった。そしてこの秀麗なる姿を私と共に味わい共に感激した人々は、私に取って忘るることの出来ない人々となっている。今年の夏もただ一人私はそれを仰いだ。何とそれは思出多い渓谷をその周囲に取巻かしめていたことであろう。何とそれは超越的な姿を天界に向って馳せしめていたことであろう。
 しかしかくの如きは、私に取っては、むしろ月並な旅であったかも知れない。残雪の傍に焚火しながら、晴れ行く雲の間から月を眺めたこと、奇峭なる渓谷の間に滝の音を耳にしなが 一夜を明かした記憶などを辿ることはやめるとして、私の最も忘るることの出来ないのは、多く高原に一夜を明かしてきらめく星を眺めたこと、幽林を静かに通う嵐をききながら暮したことなどである。私の多く泊った高原は八千尺以上の高位にあるものであったが、特に私にとって印象的な泊りは、信濃と飛騨との国境にある双六の池のはとりのそれと越中五色ケ原のそれとであった。私はここにそれらの夜の記憶を写実的に述べょうとは思わない。ただ私は人里を二、三日以上も離れた幽山の間に介在するこれらの雄大なる高原の一角に友と共にたたずみながら、白雪を頂く雄偉な四囲の山々、その山々を刻む無数の渓谷、絶えず浮動して秀峰を包んではまた開く白雲の運動、見廻わすあたりの美わしく咲き乱れた高山植物、その間を流るる氷のように冷めたい小川などを見て、茫然としてただ見惚るばかりであった。しばらくしてわれに帰ると、私は大地に伏して何者かに感謝をしなければならないような心持が、からだの底から身ぶるいのように上って来るのを感じた。
 私は、また、幽林の間の夜を、一層、忘るることの出来ないものとして記憶している。私は友人と深林の間に焚火をしながら一夜を明かしたことは一再にして止まらない。時には四、五日も続けざまに幽林より幽林へと、移動しながら暮したこともある。明けはなれた高原は、心を外へ外へと導びくようにするが、幽林の生活は、私たちの心を内へ内へと深く押しつめる。 幽林の生活の特に物思わしげにするものは、心の奥から吹き渡るような深い嵐の響き、木と木とのすれ合う悲しげな音、嵐の間を、時々、谷間から遥かに開ゆる幽鳥の叫ぶ声などである。そして闇の静寂を縫うてばちばちと音する焚火も心を内へ導びく。こういう際に私と友との間に交される二言二言は、いつにもない深いものである。時々、人生観が誰からともなく洩れる。 時折、家を遠くはなれて、かくの如き幽林の間に一夜を過しつつあることに想到して、むしろ何かの運命であるかのように感ずることもある。私たちは普通に親しい友人であると思っている場合でも、本当の意味において友人でありうる事が少ない。私たちの友情は日常生活の表面においてのみ友情と映ずるに過ぎない湯合が多い。共に旅をし、共に寝、共に喰い、一径一草の細に至るまで共に眼をそそぐことによって、初めて真の友情があらわれて来る。こういう時においてのみ互の人格の融け合うべき機会が見出され、友情が深められるのである。
 しかし私にも一人旅でなくてはならないことがある。そしてそういう場合には一人旅によって、最もよく平和と自己充足とが得られるように感ぜられる。自然の壮大が私の心を外部的に驚異させるというよりも、むしろ自然の穏やかさと自然の包容的な普遍性とが、私の心をして何物かを創造させるような余裕を与えてくれる旅が即ちそれである。いい換えれば、自然よりも私の心が主になる旅である。こういう旅には、私は自然をゆるゆる落着いた心持を以て味う。何らの奇をもっていない渓間の旅、穏やかな春の山里の旅、落日を追いつつも、宿まではほど遠からぬ急がぬ旅には、私はむしろ道連れのないことを欲する。都の喧騒をのがれ、背負い切れぬ心の重荷からのがれて、私はその時には本当に自分のもっている最後の、自分にとつて最もなつかしい、最もよく自分を迎えてくれる、自分というものをひしとつかむことが出来るように思う。
 私は今までの内で、こういう経験を多摩川の支流秋川の上流を溯った時に最もよく味った。そして今でもその記憶を辿って見ることが、私に取ってかなり楽しみになっている。四月の末つ頃、この渓谷に入ることは、春そのものの和らかさと豊けさに分け入るが如きものである。八王子からじりじりと高原状の畑を分けて、春光のどかな浅い山裾をうねりうね五日市の町を経て、南北秋川の合流点に近い或村で最初の平和な一夜を送った。五日市から此処までの間の渓谷は、別して何の奇景も見出されないし、また、驚異せしむるような奇景もない代りに、どこまでも優美で穏かで、渓流の美として見ればむしろ普遍的である。村の真中には附近の滝から引いた水をなみなみと湛えた水槽があって、傍には、海棠の花が静かな山村の夕暮を語っている。夕暮に仕事から帰って足を洗っている人、水を汲む女らには素朴的な平和があふれている。丁度、東京を早朝に出立して、午後の二時頃そこへ着いて、暮れるには間のある四月末の午後を、私はぼんやり、あたりの和らかな水々しい光景、山村の春の平和な落着、渓流の清らかな色などを見ながら、二階の欄干にもたれて暮した。私はそれまでは多く日一ぱいの旅をした。そして宿につくと何ら冥想のひまもなく、ねむるより外に仕事のないことが多かった。また、東京にいる間は、絶えず何かにつけて心を忙がしくしているので、いつも自分というものを掴む余裕が与えられてなかった。そしてそう忙がしくしていることで、私は時間をとうとく費っているように感じていたが、実は、いつも自分に属していない生活を送っているのであった。この時ばかりは存分、私は自分というもの、また、自分の進んでいる方向を考えて見た、そして、時々、豊かな渓間の春に眼を向け、また、底深い渓流の音に耳を立てた。慥かに私は昨日までの自分ではなくなったことをつくづく感じた。
 つぎの日の宿は、一層、私に取って楽しいものであった。私は北秋川の上流に立っている御前岳に攀じ、更に南秋川の渓谷に分け入って、その上流にある数馬村の小奇麗な宿に腰を下した。その途中、私は渓から渓へと鴬がまどかな声を耳にし、早咲のつつじの花や、木瓜の花をいやというはど見た。また、白樺の若々しい芽を胸をとどろかせながら眺めた。渓谷の上を、時々、湯気のように通って行く白雲の間から、あざやかに光る新緑の輝きを心ゆくほど眺めた。
 数馬の村は南秋川の最奥の大平という村へは半里しかない、特を一つ越せば甲州領という山奥である。東京府下でいながら夏は蚊帳を知らないはどの山間である。私は午後三時頃此処についてから、前日よりももっと静かな山村の寂しさと平和とを味うことが出来た。もう此処では南秋川の流れも約二間幅位の浅い流れとなって、まばらな小石の間をせせらぎの音を立ててすべって行くに過ぎない。日中には見えなかった主人夫婦も夕暮になってからは、山仕事から帰って来たらしく賑やかになって来た。私はこの時より十年以前にこの渓谷に沿うて甲州に入り、その途中この宿で米を買ったことがある。そしてこのあたりの自然がどのようなものであるかをよく知っていた。されば初めから私はこの渓谷が一人旅に最もふさわしいものであることを知っていた。勿論今は十年以前に通った時と色々趣が異っている。あちこちの林が何時の間にか切払われ、あすこの渓谷、ここの渓谷では、木材が流れの縁に積み上げられて、殺風景な製板所の響が処々に聞える。それでも数馬に近い南秋川では、依然として昔ながらの面影がのこっている。道端の長閑かな水車の響き、昔ながらの建物、いつも変らぬ数馬の宿の親切な家婦の心づかいは、平和な山奥の春を語って、一日の滞在が、不思議なはど、私の周囲の自然の静まり返れる落着の姿を私の胸の奥に照してくれた。
 私は、その折には、丁度、かれこれ二、三方月に渉って、不安な心持に襲われつつあった。私は静めることの出来ない自分の心は、自然によってのみ和げることの出来るものであると深く信じて、ただ一人ふらりとしてこの渓谷にあこがれはいったのである。そして私は慥かにそれに対する解決を、この渓谷の二日間の漂泊に見出した。自然の与うる解決は、概念的な説明によるそれではない。しかしそれはワイルドのいっているように、私たちに無言の具体的な解決を与えてくれる。それは慈母の如くに悩める胸をなで、痛めるつむりをさするように煩える心を和やかにし、心をのびのびとさせてくれる。見まわすあたりの素朴な風情と温かい渓谷の春とは、静かににこやかに瞳を動かし、その内に動ける人間も自然の嬉しさの内に融けている。ここには苦しい現実の否定もなく、すべてがありのままに動いて、その内にまじっている私も、解放された動物のように手足を十分にのばしながら歩くことが出来る気持がする。私は萌え出ずる木の芽のようにのびのびした自由を心の内に感じた。
 闇があたりに押し寄せて来た。南秋川の渓流は、峠の中に白く光って、ささやかな音を立て、静寂に包れた私の心は、しんとしてすべて胸に抱いているもの、すべて頭にこだわるものから解放されて、平和に大地に沈んで行くような気がした。私はこうした安らかな一夜を送った。
 いずれの場所にいても、そこには自然がある。私たちは大自然をいずれの時にものがれることは出来ない。されば私たちは旅をしてもしなくても、自然に触れうることには少しも変りがないという人がある。この言葉は、次の言葉が真であると同じ程度において真である。即ち私たちの心はいつも凡ての人間の経験する内容を含んでいる。私たちは何ら目ぼしい経験をしなくても、私たちの心からすべての経験内容を引出して考うることが出来ると。しかしそれにもかかわらず私は旅を欲する。時には友と共に、時にはただひとり、私は旅を欲する。旅に出て所から所へと転々する旅を欲すると共に、旅にいて永らくの滞在をするようなたぐいの旅を等しく私は欲する。それはただひとりでも友があっても同じである。私は自分のたどつて来た過去を静かに見返り、それから何物かを生み出そうという心持をもって、この滞在の旅を欲求する。そしてこの滞在の場所は、私の心を落着けるような静寂に漲ぎるところでなければならない。汲めども汲めども尽きぬ美わしい自然にとり囲まれているところでなければならない。如何にに多くの人間がそこへ集って来ても、依然として自然の影響が私をして冥想的ならしめることを止めないところでなければならない。
 私はこういう滞在を激しい旅をしたあとで試みることもあり、あるいは初めから試みることもある。こういう生活の楽しみは、日に日に新しく萌え出ずる自分というものの動くさまをみつめるそれである。こういう場所は渓谷ならば、私は流るる水のすき透った、四囲の山々の緑の今にも流れ出ようとするほどに潤いの多い、そして流れと緑との調和が、頭をすがすがしくさせるほどの渾一の感じの豊かなところを選ぶ。見あぐる山の彼方には夏でも残雪があって、獣が幽林も植林ならぬ天然のままの奥ゆかしさをもち、流れの曲りくねりが押しつまった心地を与えぬ平たい沿岸をもって、それが開拓されていない所でなければならない。うるわしい緑がさながら黄金の糸を以て織り出されたかのように新しく、流れの音と朝のそよ風とを以て、幽かにふるいおののくようなところでなければならない。また、高原ならば堆大なるスロープ、斜面に咲き乱れる植物、落葉松の深林にぴかぴか光る朝日、落日の壮厳なる暮色などすべてが、現実から私を引き上げるようなところでなければならない。これらは如何に多くの人間によっても破壊されない無限の寂びしさをその底にもって、私の心を緊張させる。一歩を行くごとに一語を発するごとに、すべてが私自身をふりかえるようにさせる。
 こうした滞在は、私をしてその土地の自然及び人間に深い親しみを覚えしめ、その土地の食物にすらも趣味を覚えしめる。そしてこの趣味は、益々、その土地を愛するようにさせる。毎も私は機会あるごとに自分の郷里に向うような憧憬の情を以て、何物も遮ぎることの出来ない熱情を以て、かくの如き場所に走る。そして帰る時には、いいしらぬ悲しみを以て、見返りながら、自分から遠ざかって行くこのなつかしい自然に別れをつげる。
 かくして私は旅に興味をもって以来、或時は孤独に或時は友と共に、また、或時は気ままに自分の好きな自然のただ中に滞在を敢えてした。これらのすべてが私の心にどれだけの変化を与えたであろうか。何物を私はかち得たであろうか。
 最初に私は殆ど素朴的時代の人々が見るような態度を以て、そしてむしろ恐怖を以て自然に村し山に村した。次に私は山に対して興味をもつようになってからは、自然に対して冒険的になった。私は或る時期の間は殆んど冒険的にのみ動いて、そのためにのみ存する 旅の意義を認めた。そしてそれは多くは自然に対する温か味や鑑賞から離れて、ただ珍奇をのみ求めるものであったことを今にして認めずにはいられない。真に自然と親しみそれと融和するのでなく、ただそれが与うる危険に拮抗するような気持、それと闘うような心持が旅においてもあらわれたのである。しかしかなり久しい以前から自然に対し山に対する私の態度が、一変しつつあることが私自身によって認められつつある。即ち自然に対してもつ好奇心が、追々、自然との深い覿しみ、自然との融和に変化しつつあることが、即ちそれである。元より私の自然に対する態度は、初めから親しみがなかったとはいわない。そこに初めから多大の親しみがあった。しかしそれにも優って私には好奇心冒険などが伴っていた。山に登る欲求は山全体に村する趣味、即ち渓谷、幽林すべてに対する鑑賞から来ているのではなくて、絶頂を極めることに存していた。しかし今の私は山のすべてに対する親しみをもたんとしている。一径一草にもいいしらぬ親しみをもつようになって来つつある。そして私は心の底から山と融和することが出来るという感じが、追々、自然に私の心の底に湧きつつあることを感じている。
 フランシスは兄弟なる太陽、柿妹なる月といっている。ワイルドは獄中生活を終えたあとの生活を自然を楽しむことに置こうといっている。すべてこうした自然との親しみ旅を欲求し、かつ旅が最も私に新しい力を与えてくれるものの一つであることを常に見出して いる。                           (大正十二年秋)

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