島木赤彦(久保田俊彦) ・歌人、教員 信州諏訪 ・1876(明治9)12/17-1926(大正15)3/27.享年49歳 ・長野県下諏訪町に赤彦記念館 柿蔭山房 ・10月第1土曜日「赤彦祭」富士見町富士見公園。99/10/2第62回赤彦祭 ・3月27日「赤彦忌」下諏訪町赤彦記念館。2000/3/27第13回赤彦忌 参考文献 ・島木赤彦/赤彦記念誌編集委員会・下諏訪町教育委員会発行 ・文学探訪島木赤彦館/下諏訪町教育委員会監修・蒼丘書林1993発行 |
年代記|禰牟庵跡碑|柿陰山房|歌碑等一覧|赤彦の足跡を訪ねるモデルコース
年号 | 年齢 | できごと | 備考 |
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1876明9 | 生誕 | 12月17日上諏訪村角間「塚原浅茅・さい」の4男 浅茅は神官,後に豊平村で教員。下古田にも赤彦生誕地碑 | 神風連の乱 |
1885明18 | 9歳 | 母さい4月・弟文夫6月死去。翌年、父みを(藤森)と再婚 | 84秩父事件 |
1890明23 | 14歳 | 諏訪高等小学校卒業。泉野小学校傭教員 | 第1回帝国議会 |
1894明27 | 18歳 | 長野県尋常師範学校入学。「少年文庫」等に新体詩、和歌を投稿 | 日清戦争 |
1897明30 | 21歳 | 下諏訪町久保田政信の養嗣子となり長女うた(1877-1902)と結婚、仮祝言 | 足尾鉱毒 |
1898明31 | 22歳 | 師範学校卒業。北安曇郡池田尋常高等小学校訓導。 3/29久保田家で結婚披露宴 | |
1900明33 | 24歳 | 長男政彦誕生。新聞「日本」短歌1首入選。 玉川尋常高等小学校に転任。宿直室「禰牟庵」で教育・作歌等を論じる | 北清事変 治安警察法 |
1901明34 | 25歳 | 諏訪文学、諏訪青年の短歌選者となる。4月、長女たけ生後2週間で夭折。 | |
1902明35 | 26歳 | 1月、出産後体調不良だった妻死去。7月義妹ふじの(1886-1965)と結婚。 玉川村の歌作詞 | |
1903明36 | 27歳 | 次女初瀬誕生。木外らと「氷むろ」(後に氷牟呂)創刊 | |
1904明37 | 28歳 | 高島小学校に転任。11月伊藤左千夫を諏訪に迎え初対面 | 日露戦争 |
1908明41 | 32歳 | 3月教職を辞め養鶏。年末養鶏業不振のため教職復帰を図る | |
1909明42 | 33歳 | 3月、東築摩郡広丘尋常高等小学校校長。中原静子も赴任 氷牟呂は、アララギと合併 | 新聞紙法 |
1910明43 | 34歳 | アララギ信州号を編集 | 韓国併合 大逆事件 |
1911明44 | 35歳 | 4月、諏訪郡玉川尋常高等小学校校長。 | 関税自主権 青鞜社 |
1912明45 | 36歳 | 6月、諏訪郡視学。 | 中華民国建国 |
1913大2 | 37歳 | 7月、中村憲吉と合著歌集,第1歌集「馬鈴薯の花」東雲堂書店刊。 筆名久保田柿人。以降島木赤彦。左千夫の死を斎藤茂吉より知らされる。 | 芸術座 |
1914大3 | 38歳 | 視学退職。単身上京アララギ再建を。私立淑徳高等女学校非常勤講師。 | 第1次世界大戦 |
1915大4 | 39歳 | アララギ編集兼発行人。第2歌集「切火」アララギ発行所刊 | 対華21条要求 |
1916大5 | 40歳 | 万葉会を起こし諏訪、長野で講義 | |
1917大6 | 41歳 | 東京雑司が谷に妻子と同居。「信濃教育」編集主任。長男政彦急逝 | ロシア革命 |
1920大9 | 44歳 | 「東京朝日新聞」歌壇選者(-1923)。第3歌集「氷魚」岩波書店刊 | 世界恐慌 |
1921大10 | 45歳 | 斎藤茂吉渡欧送別歌会/上諏訪温泉寺。 赤彦・憲吉互選歌集「島記赤彦選集」「中村憲吉選集」 | |
1922大11 | 46歳 | 「赤彦童謡集」古今書院刊。「万葉集燈」 | 全国水平社 |
1923大12 | 47歳 | アララギ震災報告号を上諏訪で発行。南満州鉄道招請で満州各地講演。 「第2赤彦童謡集」古今書院刊。 | |
1924大13 | 48歳 | 「歌道小見」岩波書店刊。第4歌集「太虚集」古今書院刊 | |
1925大14 | 49歳 | 自選歌集「十年」改造社刊。「万葉集の鑑賞及び其批評(前編)」岩波書店刊 | 治安維持法 |
1926大15 | 50歳 | 3/27柿蔭山房で死去。胃癌。49歳3カ月。戒名:俊明院道誉浄行赤彦居士 6月「第3赤彦童謡集」古今書院、7月第5歌集「柿蔭集」岩波書店刊、 10月「山房漫語」古今書院刊 | |
年号 | 年齢 | できごと | 備考 |
高槻の木末にありて頻白のさへつる春となりにけるかも | 昭和29年 |
長野県下諏訪町高木春 津島神社 | |
はる雨の雲のあひたより現るる山の頂は雪真白なり | 昭和59年 |
長野県下諏訪町東町 水月公園 | |
信濃路はいつ春にならむ夕づく日入りてしまらく黄なる空のいろ | 昭和61年 |
長野県下諏訪町高浜 旧博物館前 | |
湖の氷はとけてなほさむし三日月の影波にうつろふ | 昭和61年 |
長野県下諏訪町高木 柿陰山房 | |
萩倉の丘の上なる双松いく代までにか年の経ぬらむ | 昭和63年 |
長野県下諏訪町萩倉 木落とし坂上 | |
水海之冰者等計而尚寒志三日月乃影波爾映呂布 | 昭和12年 |
長野県富士見町富士見公園 茂吉書 | |
寂しめる下心さへおのつからむなしくなりて明し暮しつ | 昭和29年 |
長野県茅野市玉川 玉川小学校 | |
ひとつ蝉鳴きやみて遠き蝉聞ゆ山門そとの赤松はやし | 昭和50年 |
長野県茅野市茅野上原 頼岳寺 | |
おく山の谷間の栂の木かくりに水沫とはして行く水の音 | 昭和63年 |
長野県茅野市豊平 市立八ヶ岳総合博物館 | |
なつかしき湯川の里に一夜ねて盆のうた聞かぬ盆の夜さひし | 平成元年 |
石と二人物かたり居れハ窓の先くは畠ゆすり秋の風吹く | 平成元年 |
長野県茅野市北山 篠原氏宅 | |
みつ湖の氷はとけてなお寒し三日月の影波にうつろふ | 昭和61年 |
長野県諏訪市岡村 地蔵寺上 塚本公園 | |
夕焼空焦げきはまれる下にして氷らんとする湖の静けさ | 昭和53年 |
長野県諏訪市湖岸通り 湖畔公園 | |
山を下った良寛様は村の子どもと毬ついてゐたが・・ (童謡) | 昭和31年 |
長野県諏訪市元町 角間公園 誕生の地 | |
諏訪の殿様牡丹餅好きで(以下略) 童謡碑 | 平成元年 |
長野県諏訪市小和田 文学の道公園 | |
山深くわけ入るままに谷川の水きはまりて家一つあり | 昭和58年 |
長野県木曽郡大桑村 阿寺渓谷 | |
いささかの水にうつろふ夕映えに菜洗ふ手もと明るみにけり | 昭和26年 |
長野県塩尻市広丘 歌碑公園 | |
君か住む高出の里は秋はやく草の花さき水湧くところ | 平成2年 |
長野県塩尻市広丘 高出分校跡 | |
赤松の森のうへなる雲の峰にひひきて鳴けり蝉のもろ声 | 昭和60年 |
長野県塩尻市広丘野村 丘中学校 | |
此町の家ひくくして道廣し雪の山々あらはにし見ゆ | 昭和28年 |
長野県池田町大字池田 八幡神社 | |
櫟原昼あつくして葉こもれる山蚕の秋蚕末た幼し | 昭和48年 |
長野県大町市大字常盤 西山城址 | |
山の田の水を落してとりし鯉桶にかつきて来る爺あり | 昭和62年 |
長野県大町市大字常盤 | |
七月に入りて雪ある遠き山山門外に出立見れば | 昭和31年 |
長野県東部町田中 法善寺 | |
雪残る遠山白し湯の庭の桑の高木に實の熟るる頃 | 昭和55年 |
長野県野沢温泉村 桐屋旅館 | |
石の上にさくらの落葉堆し正受老人ねむりて在す | 昭和40年 |
長野県飯山市飯山 正受庵 | |
信濃路は帰り来たりてうれしけれ 黄に透りたる漬菜の色は | 昭和31年 |
長野県東部町田中 法善寺 | |
ふれあい広場 若葉する駅のまへの谿深し雪のゝこれる山々に向ふ | 平成元年 |
山梨県北巨摩郡小淵沢町 駅前広場 | |
立川の茅場の庵は青田風時じくに吹く椎の若葉に | 平成3年 |
千葉県山武郡成東町 左千夫公園 | |
土肥の海漕出てゝ見れは白雲を天に懸けたり不二の高根は | 昭和37年 |
静岡県田方郡土肥町 松原公園 | |
伊豆の湯に男女ら共に浴めり山深く来て疑ふものなし | 昭和61年 |
静岡県天城湯ケ島町 船原温泉 | |
夕毎に海の南の雲染めて茜根にほへり風寒みつつ | 昭和59年 |
茨城県日立市東成沢町 鮎貝橋下流 | |
わか庭の柿の葉硬くなりにけり土用の風の吹く音聞けは | 昭和57年 |
山形県上山市北町 斎藤茂吉記念館後庭 | |
山かげに松の花粉ぞこぼれけりここに古りにしみ佛の像 | |
安楽寺 | |
高きを見ずや八ヶ岳 深きを見ずや・・(玉川村の歌) | |
長野県茅野市玉川 多留姫の滝 | |
岩崩(く)えの赤岳山に今ぞ照るひかりは粗し眼に沁みにけり | |
赤岳を詠む | |
草枯丘いくつも越えて来つれども蓼科山はなほ丘の上にあり | |
蓼科山を詠む |
1日目//赤彦記念館・・柿陰山房,津島神社,お墓・・禰牟庵跡碑,玉川小学校・・RADISH-GARDEN泊 |
2日目//多留姫の滝・・古田分教場跡・・八ヶ岳総合博物館・・頼岳寺・・角間公園 誕生の地・・RG泊 |
3日目//富士見公園・・高原のミュージアム・・富士見高原・・ほか |