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霧ヶ峰ヤナギラン


・長野県茅野 中央本線茅野駅よりバス
日本百名山 深田久弥 新潮文庫 p.266
花の百名山 田中澄江 文春文庫 p.318
[ご案内] RGより60分 [花・百名山] [八ヶ岳&山]

ヤナギラン エアコンの名前にも使われて有名。
日本のグライダー発祥の地でもある。

 春の花    春は名のみの風の寒さや・・ 
 夏の花  レンゲツツジ、ニッコウキスウゲ 
 秋の花    シモツケソウ、マツムシソウ 


62 霧ヶ峰(1925E)「日本百名山」深田久弥 新潮文庫 P.266

 妙な言い方だが、山には、登る山と遊ぶ山とがある。前者は、息を切らし汗を流し、ようやくその項上に辿り着いて快哉を叫ぶという風であり、後者は、歌でもうたいながら気ままに歩く。
もちろん山だから登りはあるが、ただ一つの目標に固執しない。気持のいい場所があれば寝ころ んで雲を眺め、わざと脇道へ入って迷ったりもする。当然それは豊かな地の起伏と広濶な展望を持った高原状の山であらねばならない。霧ヶ峰はそ の代表的なものの一つである。
 まだ戦争の始まらない頃、私は霧ヶ峰で一夏を過し、遊ぶ山の楽しさを十分に味わった。もうとっくに焼けて無くなってしまったヒュッテの二階の、そこから真正面に乗鞍、御嶽、木曽駒の見える一室を私が占め、隣りの部屋には小林秀雄君がいた。二人は、天候さえよければヒュッテの主の長尾宏也君を引っぱり出して、広い高原を歩き廻った。  遊ぶ場所には事欠かなかった。霧ヶ峰の最高峰は車山であるが、それも骨の折れる山でなく、ゆるやかな傾斜をのんびり登って行くうち、いつか三角点に達するといった風である。その細長い項から、すぐ真向いに蓼科八ヶ岳の連峰が手に取るように見えた。殊に夕方、落日を受けた赤岳が、その名の通り赤く映えた姿は、美しさの限りであった。
 車山の裾は、どこまでも果てしないと思われるほど、広い広い草地が伸びていて、その中に踏跡らしいものが幾筋もついていた。そんな八幡の薮知らずのような細道を迷わずに辿れるのは、ヒュッテの主くらいであった。もっとも迷ったところで大したことはない。私など車山へ登る毎に道が違っていた。
 夏の高原は、背丈はどあるシシウドの白い花と、ニッコウキスゲの橙色で覆われた。私は外へ出る毎にさまざまの花を摘んできて、それを植物図鑑で確かめるのを楽しみにしていた。そこを住みかにする狐や鷲も長尾君は知っていた。
 八島平と呼ばれる大きな湿地は、以前は沼だったのが次第に蘚苔類の生長によって湿地に変ってきたのだそうで、その沼の名残りが八島池・鎌ヶ池となって一隅に残っていた。ひっそりと静かで、しかも明るい沼であった。
 その近くに旧御射山(もとみさやま)という丘があって、鎌倉時代にはそこが国家的演場だったという。その丘が見物席で、今でも桟敷のような段々が幾筋もついていた。頼朝がここで狩座(かりくら)を催したことは、信ずべき古い記録に出ているそうである。
 丘の附近の薮の中に小さな祠があった。それが諏訪明神の元だそうで、祠の前の細い流れの底から、大昔の土器のかけらを拾うことができた。霧ヶ峰は歴史的にもそういう古い土地なのである。広大な高原の東を大門街道、西を中仙道が区切っているが、おそらくその両街道の間の間道として、この山地を横切る細道が昔は利用されたのであろう。
 実際この広い地域には何でもあった。森林が見たければ、蝶々御山と物見山の按部の細道を辿って東側へ下れば、そこは樹木で覆われていた。沢が欲しければ東俣へ入ればいい。そこには清冽な流れが薄暗い谷底を流れていた。有名な諏訪の大 祭の御神木は、この東俣御料地から伐り出された のだそうである。
 霧ヶ峰という名があるくらいだから、霧は多かった。濃い時は、ちょつと外へ出ただけでヒュッテのありかも分らなくなる。霧は幾つものかたまりになって、それが押しあい揉みあうようなさまで寄せて来、流れて行く。窓ぎわに据えた机から、終日そんな渦巻を見ながら過す日も少なくなかった。
 だから晴れた日は貴重だった。霧ヶ峰はちょうど本州の真ん中に位置するから、そこからの山の眺めに申し分なかった。山を見ることの好きな私は、朝起きて、もし奇麗に晴れておれば、欠 かさず薙釜社のある高地まで登って、倦くほど遠い山近い山を眺めた。
 夏の初めはまだ多かった遠山の雪も、夏の闌(た)けるに従って次第に乏しくなり、下旬には、もう 白い所は、乗鞍の肩ノ小屋あたりと、穂高・槍連峰中の大喰の雪渓だけになった。
 暑中休暇も終り、登ってくる人も少なくなって、高原には、賑やかだった盛宴の後のような哀傷があった。あんなに旺(さか)んだったシシウドも醜く枯れて、そのあとへ薄紫の可憐な松虫草が一面 に咲き乱れた。九月の初めずっと雨が続いて、ようやく晴れ上った日、原へ出てみておどろいた。
一帯の緑は狐色に変っていた。高原はもう薄の秋であった。


80霧ヶ峰=ヤナギラン(アカバナ科)「花の百名山」田中澄江 文春文庫 p.318

 ヤナギランにはじめてあったのは、戦後間もない頃、名古屋から飛騨川沿いに北上して飛騨の高山まで、その土地土地に残る民話伝説を調べにいった旅の帰り、乗鞍まで車でいった途中である。
 戦時中に軍人によってつくられたという未舗装の道路は、強い秋の陽に乾いて、濛々と砂塵をまきあげ、思わずしめようとした窓の外に鮮紅のいろを見た。花であった。何の花であろう。
 私はその時まで、そんなに紅の美しい野の花を知らなかった。車が登ってゆくにつれて花の数もふえ、針葉樹林の深さの中に咲くその華やいだ姿に、高山の松倉城で敗れて、乗鞍から安房峠を抜けて逃げてゆき、梓川べりの沢渡で、杣人の手にかかって惨殺された三木秀綱の妻のことをふと思い出した。深山に似合わぬ華麗な衣裳をつけていた彼女は、杣びとたちに狐が化けて出たのかと怪しまれて殺されたのだという。釈超空、折口信夫さんの歌にその哀れさを歌ったのがある。
 峰々に消ぬきさらぎの雪のごと
 清きうなじを人くびりけり
 ヤナギランはその後北海道で、じつにしばしば見ることができた。旭川から層雲峡にゆく車道の西側は、ヤナギランの大群落で、鮮紅の幕を張ったようである。
 根釧原野にもたくさん咲いている。その花のいろにも形にも壮麗な美しさがあると思い、自然に放置されたままで、この美しさがつくり出されることに、いつも眺めて感動するのだけれど、昔からあまり歌や句には詠みこまれていないようだ。
 これだけ目立って、これだけさわがれない花も珍らしいと思う。たとえばなぜひとはミズバショウにマツムシソウに、ニッコウキスゲに、カタクリに、スズランに、リンドウに熱っぼい眼差しをそそぐのであろう。
 ヤナギランの丈があまりにも高く、直立した茎があまりにも堂々としているからかもしれないと思ぅ。小さく可憐なものに親愛の情を注ぐひとが多い。

霧ヶ峰を訪れた初秋の一日、上諏訪から車で強清水に至り、蓼科山を東に、美しが原、鷲ヶ峰、鉢伏山を西に望む高原に立って、眼の前に咲きつづくヤナギランの見事な群落に見とれた。一面の鮮紅色の波が周にゆれる。もう残りの花で、下の方はわれてそりかえったような大きな種子になり、白くほほけている。その綿のような白と、花びらの紅のまざりあったのが、一そう花をゆたかに見せている。
 霧ヶ峰の花は場所がひろびろとしていて、陽光をさえぎるものがないせいか、うすえんじいろのヨツバヒヨドリも、卵白色のヤマハハコも、キクのような黄の花を残すハンゴンソウもすべて群落をつくっている。お互いに群れかたまりながら、お互いの領分はきちんとまもって、互いにまじりあわないところもおもしろい。アキノキリンソウもルリトラノオもコガネギクもモリアザミもシオガマギクもすべて大量に咲いている。池塘のほとりは濃い空いろのエゾリンドウの群落である。
 まだ、であったことはないけれど、ニッコウキスゲもまた、さぞ盛大に壮大に、この大地からむっくりと盛り上ったような、楯状火山の巨大な緩傾斜の山容を被いつくすのであろうと思った。
 しかし私は、もしも霧ヶ峰に野の花を見にくると言うなら、どの花にもまして、ヤナギランの季節に、その大群にとりまかれたいと答えたい。夏も終りの日々、秋風が立って、山野のいろのおのずから衰えはじめる頃、鮮紅色に咲き競う華々しさが好きである。
 秋の花の紫も黄も青も、それぞれに美しく季節らしいいろどりをあらわしていると思うけれど、秋から冬にかけて見る花には、紅いろこそふさわしいのだと私は思っている。紅は火のいろ、あたたかいいろだから。
 その日の午後、霧ヶ峰には、ススキの美をテレビで語るために、スタッフのひとたちにつれていかれたのであった。
 ススキも壮大に盛大に生えていた。花々が埋める空間とは又別に自分の領分をまもって、波のように白い穂を風にそよがせていた。
 芒野、芒原。芒散る。枯尾花。山本健吉氏の『最新俳句歳時記』の秋にかかげられた「芒」の連想はみなわびしい。テレビ局のひとたちもおそらく私にわびしさを語ってもらいたいのであろう。
 しかし私にはわびしさという感情があまりない。ススキは枯れても、どうせ来年生えと思っている。スタッフの人たちが明日の撮影に備えて、カメラをすえる場所をさがしている間に、一人で霧ヶ峰の主峰車山を南面から登っていった。
 南アルプスの連嶺が、杖突峠が、中央アルプスの峰々が背後にせり上ってくる。
 車山は一九二五メートル、標高差は二百メートルで、わずかな登りをゆっくりと歩く。
一休みするごとに陽が山々の稜線に近づき、眼の下の諏訪盆地に紫のかげがひろがってくる。逆光にススキの銀のいろが冴えかえっている。ヤナギランが一かたまりすべて種子になって光っている。下の方ではまだ残っていた花が百本ほど、高度がちがうだけですっかりうら枯れた姿になっている。それがススキよりもわびしさをそそる眺めであった。


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